おうま歌詞ひらがな‥ぽっくりぽっくりあるく
おうまは、林柳波作詞、松島つね作曲の日本の童謡。1941年(昭和16年)に音楽の教科書である『ウタノホン上』に掲載された。睦まじい馬の母子の姿が表現されている。
本作の題名を歌い出しの「おうまのおやこ(お馬の親子)」と勘違いされがちである。2007年(平成19年)には日本の歌百選に選出された。
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※こちらのサイトより引用
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おうま楽曲の背景など
戦後は題名も詞も平仮名表記が用いられ、文部省が発行した教科書「一ねんせいのおんがく」昭和22年度版を始め、1950年(昭和25年)から1985年(昭和60年)まで、長年に亘って教科書会社から発行されている音楽の教科書に掲載された。平成以降も1995年(平成5年)まで音楽の教科書に掲載されることとなった。
日本全体が戦時体制へと移行する中、幼少時から軍馬に対する関心を子供に持たせようと、当時の軍部指導者が国民学校の教科書編集委員であった林に作詞を依頼した。しかし、1年生用の歌であったことや、林自身がその意図に同意出来なかったことから、ストレートに表現できずに優しい歌に仕上がった。
馬の母子の描写の原型は、林が子供たちとともに千葉県成田市の三里塚御料牧場を訪れた際に目にした、母馬の後ろを子馬が歩く光景を元に作った詩『お馬の母子』であろうと、林の娘は指摘している。また、林が幼少時代を過ごした群馬県沼田市で、荷物を積んだ親馬が後から付いてくる子馬を心配しながら歩く光景を目にしたことが原体験となっているという指摘もある。
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おうま1番の歌詞が刻まれた歌碑
林の母校である沼田市立沼田小学校の校庭にある。左上に林のレリーフがはめ込まれ、中央には林の自筆によって1番の歌詞が刻まれたもので、1976年(昭和51年)に除幕された。
林 柳波(はやし りゅうは)
1892年(明治25年)3月18日 – 1974年(昭和49年)3月27日。
童謡作詞家、詩人、薬剤師。兄は陸軍獣医少将の林里二。
在学中より詩や俳句に手を染め、大正12年頃野口雨情と出会い童謡や民謡も書くようになる。童謡誌「しゃぼん玉」に寄稿。「うみ」「おうま」「うぐいす」などで知られる。一方、明治薬科大学の講師となり学校の運営にも参画して、母校の発展に寄与。国民学校音楽教科書編集委員、日本詩人連盟相談役、図書館長などを歴任。昭和51年母校沼田小学校校庭に「おうま」の詩碑が建立された。
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「人間万事塞翁が馬」とは‥意味など
人間万事塞翁が馬とは、人生における幸不幸は予測しがたいということ。 また、人生において、何がよくて何が悪いのか、後になってみないとわからない、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないという という意味もあります。
人間万事塞翁が馬‥英語では、Whatever will be, Will be(Que sera, sera)
小さな女の子がおかあさんに聞きました。「可愛くなれる? お金持ちになれる?」
それを聞いた母親はこんなふうに答えました。「気にしてもしょうがない(ケ・セラ・セラ) 、
なるようになるわ、明日のことなんて誰にも判らないのよ」
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まとめと関連情報
おうまは、林柳波作詞、松島つね作曲の日本の童謡。1941年(昭和16年)に音楽の教科書である『ウタノホン上』に掲載された。睦まじい馬の母子の姿が表現されている。
本作の題名を歌い出しの「おうまのおやこ(お馬の親子)」と勘違いされがちである。2007年(平成19年)には日本の歌百選に選出された。
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