仇討ちとは‥敵討ちとの違いは‥
仇とは肉親や主君などを殺した相手のことで、その恨みを晴らすときの行為を仇討ちと呼びます。一方、敵とは現時点では肉親を殺されたとかの直接的な被害は受けていないが今後被害の可能性があるため排除するべき敵と判断した相手のことで、こちらの場合には敵打ちとなります。これが、敵討ちと仇討ちの違いです。
ちなみに、「意趣返し(いしゅ‐がえし)」という言葉もありますが、これは、恨みを返すこと、しかえし、復讐 (ふくしゅう) という意味です。
日本の三大仇討ちとは
いろいろなジャンルの作品に題材として取り入れられた実際に起きた事件のなか、とくに人気を集めた3つの仇討ちがありました。
1つめは、曾我祐成(そがすけなり)と時致(ときむね)兄弟が、父親の敵・工藤祐経(くどうすけつね)を討った「曾我兄弟の仇討ち」です。
2つめは、渡辺数馬(わたなべかずま)と荒木又右衛門(あらきまたえもん)が数馬の弟の仇、河合又五郎(かわいまたごろう)を伊賀上野鍵屋の辻で討った「伊賀越えの仇討ち」[鍵屋の辻の決闘]です。
そして、3つめが、この「赤穂浪士の討ち入り」です
江戸時代、なぜ「仇討ち」はお上公認だったのか?
江戸時代、なぜ「仇討ち」はお上公認だったのか?|武士はなぜ腹を切るのか|山本博文 – 幻冬舎plus (gentosha.jp)
実は「仇討ち」の成功率は低かった
江戸時代は、仇討ち、つまり復讐が認められていました。武士たる者、親や兄弟を殺されたら、自分の力で復讐するのが当然だと考えられていたのでしょう。そのため、届け出さえすれば、必ず認められました。
そもそも浅野家の家臣たちは、内匠頭は吉良上野介との“喧嘩”のすえに刃傷におよんだのだ、と考えていました。武家社会では「喧嘩両成敗」という天下の大法があり、両者が行ったのが本当に“喧嘩”であれば、当然、内匠頭だけでなく上野介も切腹になったはずなのです。
まとめと関連情報
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