七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき‥道灌の逸話
江戸城を築城した武将太田道灌。その道灌が鷹狩に出かけたところ、急に雨が降ってきました。近くの粗末な小屋で蓑を借りようとしたところ、中から若い娘が出てきて、黙って山吹の花一枝を道灌に差し出します。
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七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき 兼明親王
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※兼明親王(914-987年)
花を求めたのではないのにと、道灌は娘の真意もわからぬまま怒って立ち去りました。後でそのことを家臣に話すと、それは、「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という古歌を踏まえたもので、娘は貧乏で道灌様にお貸しする蓑一つもございませんということを、山吹に託してそっと告げたのでしょうと語りました。
それを聞いた道灌は自らの無学を恥じ、それ以来和歌に精進し、立派な歌人になったと言われています。
ところで、『万葉集』でたびたび登場するほどヤマブキ栽培の歴史は古く、古歌にも好んで詠まれ親しまれてきた。平安時代に入ると蛙(かわず(旧かな表記では「かはづ」))とともに詠み合わせられることが多くなりました。
ヤマブキ(山吹)は、山野に普通に見られる落葉低木で、那須では扇状地を流れる小川や、やや上部の渓流沿いなどに良く見られます。花弁は5枚。八重咲きもありますが、八重は実を付けません。花期は5月。
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山吹を宿に植ゑては見るごとに思ひはやまず恋こそまされ 大伴家持 巻19-4186
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兼明親王(かねあきらしんのう、914-987年)
兼明親王(かねあきらしんのう)は、平安時代中期の公卿・皇族。醍醐天皇の第11皇子。一時期臣籍降下して源 兼明(みなもと の かねあきら)と名乗ったが、晩年になって皇籍に復帰し中務卿となったことから中書王(ちゅうしょおう)あるいは前中書王(さきの ちゅうしょおう)と呼ばれる。
「後中書王」と呼ばれた甥の具平親王と共に並び称される博学多才の主で、藤原佐理・藤原行成と共に三蹟の一人に数えられる場合もある。『江談抄』『本朝文粋』に詩文を残す。『古今和歌六帖』の撰者と考えられている。
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ヤマブキ(山吹)とは‥由来など
ヤマブキ(山吹)は、バラ科ヤマブキ属(本種のみの一属一種)の落葉低木。別名はヤマブリ。黄金色に近い黄色の花をつける。俳句では春の季語。
和名ヤマブキの語源は、古くは「山振(やまぶり)」と書かれ、これが転訛したものとされる。ヤマブリの由来は、細くしなやかな枝が、風に振られて揺れ動く姿にちなむといわれ、また、中国名は「棣棠(ていとう)」。学名はスコットランドの植物学者のウィリアム・カー(英語版)に由来する。
ヤマブキの花言葉
ヤマブキの花言葉は、「気品」。ヤマブキの鮮やかな黄色い花の色は、山吹色という色名のもととなっています。昔、深い谷底に落ちた金貨がヤマブキ(山吹)の花に変わったという言い伝えもあり、ヤマブキ(山吹)の花の光輝くような花色に由来して、「気品」「崇高」という花言葉が付きました。
ヤマブキ(山吹)の基本情報
学名:Kerria japonica
科・属:バラ科ヤマブキ属
和名:ヤマブキ
原産:日本
別名:ヤマブリ
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山吹と見ゆるガラスの曇哉 正岡子規‥意味や花言葉
ヤマブキ(山吹)は、俳句では春の季語。そんなヤマブキ(山吹)を季語とした俳句を紹介します。
山吹と見ゆるガラスの曇哉 正岡子規
月雪に山吹花の素顔よし 其角
鯉の瀬や山吹の簑あらまほし 其角
鯉の義は山吹の瀬やしらぬ分 其角
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※川をよく見ると、流れが速く水深の浅い場所と流れが遅く水深の深い場所があります。この流れが速く浅い場所を瀬、その前後で流れが緩やかで深いところを淵と呼びます。
まとめと関連情報
ヤマブキ(山吹)は、バラ科ヤマブキ属(本種のみの一属一種)の落葉低木。別名はヤマブリ。黄金色に近い黄色の花をつける。俳句では春の季語。そんなヤマブキ(山吹)にまつわる和歌や俳句をまとめました。
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七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき‥道灌の逸話
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