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浜辺の歌(はまべのうた)歌詞ひらがな‥風の音よ雲のさまよ

浜辺の歌(はまべのうた)歌詞ひらがな‥風の音よ雲のさまよ

「浜辺の歌」(はまべのうた)は、林古溪作詞、成田為三作曲の歌曲で、2007年には「日本の歌百選」に選定されており、現在でも広く愛唱されている叙情歌である。

浜辺の歌(はまべのうた)歌詞ひらがな

作詞:林古溪 作曲:成田為三

1 あしたはまべをさまよえば むかしのことぞしのばるる

かぜのおとよくものさまよ よするなみもかいのいろも

2 ゆうべはまべをもとおれば むかしのひとぞしのばるる

よするなみよかえすなみよ つきのいろもほしのかげも

3 はやちたちまちなみをふき あかものすそぞぬれひじし

やみしわれは すでにいえて はまのまざご まなごいまは

「赤裳(あかも)」とは(3番の歌詞)

「赤裳」は女性の赤い着物です。「ぬれひじし」は濡れ漬じし。濡れてひたる、つまり「びっしょりと濡れてしまった」という意味です。

 

浜辺の歌(はまべのうた)

1913年(大正2年)8月、古渓は東京音楽学校(現在の東京藝術大学)学友会が発行する雑誌「音楽」に『はまべ』と題した三節からなる詩を発表した。第一節、第二節はすべてひらがな表記、第三節も「赤裳」「真砂」(「マナゴ」とルビがある)の2語のみ漢字で後はひらがなである。

詩には(作曲用試作)との付記があり、当初から作曲されることを想定して書かれた詩であることがわかる。詩の舞台となった「はまべ」がどの浜辺を指すのか古渓は明言していないが、古渓は少年時代を辻堂で過ごしたことから辻堂海岸を思いだして書かれたとする解釈が多い。

 

1 あした浜辺をさまよえば 昔のことぞしのばるる
  風の音よ雲のさまよ 寄する波も貝の色も

2 ゆうべ浜辺をもとおれば 昔の人ぞしのばるる
  寄する波よ返す波よ 月の色も星のかげも

3 はやちたちまち波を吹き 赤裳のすそぞぬれひじし
  病みし我は すでにいえて 浜の真砂 まなごいまは

林 古渓(はやし こけい)

1875年〈明治8年〉7月15日 – 1947年〈昭和22年〉2月20日。
歌人、作詞家、漢文学者、立正大学教授、東洋大学講師。本名は竹次郎。東京・神田出身。哲学館(現東洋大学)教育学部卒。林羅山に連なる家系で、代々学者の家柄である。林家の次男として東京神田に生まれる。

幼少時代を神奈川県愛甲郡古沢村(現厚木市)で過ごし、古渓の筆名はこの古沢村から採ったという。

10歳の時に父を失って以来、池上本門寺に入って修行。さらに哲学館(現東洋大学)に入学すると国漢を学んだ。漢詩に非凡な才を見せたが、一方で新体詩のグループを作っては積極的に活動を始めた。卒業後、同校付属の京北中学校で国漢科教員となり、生徒たちから「達磨さん」と呼ばれて慕われたという。

『はまべ』(後の『浜辺の歌』)を『音楽』に掲載した理由は、牛山は後輩の成田為三に作曲の試作として古渓の『はまべ』の詞を勧めたという。辻堂東海岸を思い出し作詞したというのが一般的な説であるが、異論も多い。

 

林 古渓 作詞を担当した主な曲

大いなるかな(平井康三郎作曲)
五月(平井康三郎作曲)
ひばり(平井康三郎作曲)
牡丹(平井康三郎作曲)
みの虫(平井康三郎作曲)
阿蘇(信時潔作曲)
浜辺の歌(成田為三作曲)
ひる(弘田龍太郎作曲)
わがちから(山田耕筰作曲)
東洋大学校歌(山田耕筰作曲)
済美高等女学校校歌(宮城道雄作曲)
村野工業高校校歌(梁田貞作曲)

まとめと関連情報

「浜辺の歌」(はまべのうた)は、林古溪作詞、成田為三作曲の歌曲で、2007年には「日本の歌百選」に選定されており、現在でも広く愛唱されている叙情歌である。


浜辺の歌(はまべのうた)歌詞ひらがな‥風の音よ雲のさまよ

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