川の流れのように(美空ひばり)歌詞‥
「川の流れのように」は、1989年1月11日に発売された、日本の歌手、美空ひばりの生前最後に発表されたシングル作品であり、日本の歌百選に選定されています。
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知らず知らず 歩いて来た 細く長いこの道
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年の瀬や水の流れと人の身は‥ 大高源吾
討ち入り当日の夕方、両国橋での其角とのやりとりで大高源吾が詠んだ句、
「年の瀬や、水の流れと人のみは」
「明日 またるる その宝船」
川の流れ、水の流れ、日本人はこの流れに無常を感じるのでしょうか‥
「奥の細道」の冒頭「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり」が連想されます。
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昨日といひ今日と暮らしてあすか川‥春道列樹(はるみちつらき)
『古今集』 巻六、冬、三四一
年のはてによめる 春道列樹(はるみちつらき。生没年未詳。920年壱岐守。)
昨日といひ今日と暮らしてあすか川 流れて早き月日なりけり
(昨日はと言い今日はと言って暮らして明日は年が改まる、
飛鳥川の流れのように早い月日の流れであることだ。)
水流任急境常静 花落雖頻意自閑(菜根譚)
すいりゅうきゅうにまかせて さかいつねにしずかなり
はな、おつることしきりなりといえども こころおのずからしずかなり
「水は激しく流れても、あたりはいつも静か。
花はせわしく散っても心はいつものどか」
この心境をいつも保つことができれば、何物にもとらわれることなく、
自由自在の人生が送れるだろう、という解説を吉田豊さんがされています。
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行く川のながれは絶えずして‥方丈記:鴨長明
『方丈記』(ほうじょうき)は、鴨長明による鎌倉時代の随筆で、『徒然草』、『枕草子』とならぶ「古典日本三大随筆」に数えられます。隠棲文学の祖や、無常観の文学とも言われ、乱世をいかに生きるかという自伝的な人生論ともされます。
有名な冒頭の「ゆく河の流れは絶えずして、‥」の書き出しで移り行くもののはかなさを語った後、同時代の災厄についての記述が続き、後半は草庵での生活が語られています。
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ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
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方丈記(鴨長明)の冒頭の書き出し(「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」)は、以下の論語を意識したものと言われています。
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論語: 子罕第九;
子在川上曰、逝者如斯夫、不舎晝夜、
子、川の上(ほとり)に在りて曰わく、逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎(や)めず。現代語訳;
過ぎ去っていくものは、この水の流れと同じようなものだなあ、昼も夜も休まず過ぎ去っていく。
歳月人を待たず‥陶淵明「雑詩」
人生根もなくへたもない
道にさまよう塵あくた
時の流れに身をまかすだけ
しょせんこの身は常ならず
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歳月(さいげつ)人(ひと)を待(ま)たず《陶淵明「雑詩」其一から》
年月は人の都合にかかわりなく、刻々と過ぎていき、少しもとどまらない。
陶淵明の漢詩「雑詩」、人生無根蔕 | ふるさと情報いろいろ (furusatoa.biz)
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烏兎怱怱(うとそうそう)
あっという間に月日がたってしまうこと。「入社してから40年、烏兎怱怱の思いでいっぱいです」
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瀬をはやみ岩にせかるる滝川の‥ 崇徳院
川の流れを人に例えた、百人一首77番目の恋の歌です。崇徳院は鳥羽天皇の第一王子。保元の乱(1156年)で失脚し、讃岐に流され不幸な晩年を過ごした人です。
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瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ
世の中は何か常なる明日香川 昨日の淵ぞ今日は瀬になる
世の中は何か常なる明日香川 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる(古今集 読人不知)
この世の中でなにをいったい不変なものとなし得ようか。明日という名をもつ明日香川でさえ、昨日淵であったところが、今日は瀬となり、移ろいゆくのだから‥。
⇒ 文学に見る人と川のかかわりに関する調査研究 研究所報告13号 (rfc.or.jp)
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まとめと関連情報
「川の流れのように」は、1989年1月11日に発売された、日本の歌手、美空ひばりの生前最後に発表されたシングル作品であり、日本の歌百選に選定されています。
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