さくら貝の歌(さくらがいのうた)歌詞‥うるわしき桜貝ひとつ
さくら貝の歌(作詞土屋花情(つちやかじょう)、作曲八洲秀章)は、昭和24年にNHKのラジオ歌謡曲として巷に流れ、翌年にはレコードが発売されました(作詞土屋花情、作曲八洲秀章、すでにこの歌は昭和十八年に完成していた)。
八洲は病で失った恋人の面影を抱いて鎌倉に住み、浜辺で見た光景に託して「わが恋の如く悲しさやさくら貝かたひらのみのさみしくありて」の和歌を作った。これを逗子町役場に勤める友人花情に示して作詞を依頼、曲をつけた。
「さくら貝の歌」の成功につづき八洲は「あざみの歌」「マリモの歌」と次々とヒットを飛ばした。三十四年レコード大賞童謡賞、五十二年内村直也文化賞を受賞した。日本の歌100選に選出されています。
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うるわしき桜貝ひとつ
去りゆける君に捧げむ
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八洲 秀章(やしまひであき)
八洲 秀章(やしまひであき、1915年(大正4年)6月2日 – 1985年(昭和60年)12月30日)は昭和期の作曲家。本名鈴木義光。次男はミュージカル俳優の沢木順。
「さくら貝の歌」、「あざみの歌」、「毬藻の唄」を作曲したことで知られる。「あざみの歌」は、自身の歌唱で1949年(昭和24年)8月8日からラジオ歌謡で1週間放送し、その後、のど自慢等で歌われるようになり、1951年(昭和26年)、伊藤久男の歌唱でレコード化された。日本音楽著作権協会評議員、日本作曲家協会理事などを務めた。
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まとめと関連情報
さくら貝の歌(作詞土屋花情(つちやかじょう)、作曲八洲秀章)は、昭和24年にNHKのラジオ歌謡曲として巷に流れ、翌年にはレコードが発売されました(作詞土屋花情、作曲八洲秀章、すでにこの歌は昭和十八年に完成していた)。
さくら貝の歌(さくらがいのうた)歌詞‥うるわしき桜貝ひとつ
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