願はくは花の下にて春死なむ‥西行(辞世の句)

西行の辞世の句 願わくは花のしたにて春死なん‥

平安時代の末期、1118年に生まれた西行は、佐藤義清という俗名で鳥羽法皇の北面の武士として仕えていたにもかかわらず、1140年に23歳の若さで出家しました。

出家後は、慣れ親しんでいた和歌の歌枕の地、吉野山の麓に庵を結び、吉野の桜を愛しみ、1190年2月16日のこの世を去るまでに、桜を詠んだ歌はなんと60首余にも及ぶといわれています。そんな西行の辞世の句です。旧暦の2月は、現在の3月中旬ごろで、その時期の満月のころで、ちょうど桜が花盛りを迎える時期です。

※望月:陰暦十五夜の月。満月。

願わくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃

「どうか、春の、桜の花の咲く下で死にたいものだ。
あの釈迦が入滅なさった二月十五日頃に」という願いを込めたとか‥

吉野山の桜と西行と和歌と‥新古今和歌集

そんな西行の愛した吉野の桜、吉野の言葉が読まれた和歌をいくつか紹介します。
※訳は、こちらのサイトからの引用です。

吉野山 こずゑの花を 見し日より 心は身にも そはずなりにき”

(吉野山に咲く梢の桜の美しさを見た日から、桜にあこがれる自分の心は、身には添わなくなってしまったことだよ。)

花を見し 昔の心 あらためて 吉野の里に 住まんとぞ思ふ
(桜の花にあこがれて浮かれ歩いた昔の心を思い出し、改めて昔のように吉野の里に住もうと思うよ。)

 

新古今和歌集より

吉野山やがて出でじと思う身を花散りなばと人や待つらん

 

吉野山の桜 Part①【ドローン映像】

春の吉野山は下千本から徐々に桜が開花してゆき、奥千本まで吉野山全体を美しく、見事に彩ってゆきます。古来より多くの歌人に愛され、歌に詠まれてきたその光景は今も多くの人々を魅了します。


啓蟄とは‥意味や使い方

啓蟄とは

啓蟄は「けいちつ」と読みます。知恵蔵の解説のよれば、春の暖かさを感じて、冬ごもりしていた虫が外に這い出てくるころのことで、「啓」には「ひらく、開放する、(夜が)明ける」などの意味、「蟄」には「冬ごもりのために虫が土の下に隠れる、とじこもる」という意味があるとのことです。

和歌と短歌の違いについて

いままで和歌と短歌の違いについて考えることもなかったのですが、あらためて考えると、違いが気になりだしてちゃんと調べてみることにしました。

結論から言うと、和歌も短歌も同じもので、短歌とは和歌の様式を受け継ぐ日本文学のひとつです。作られた時代(短歌では詠われた時代)によって、和歌か、短歌か と区別されています。明治以降が短歌、それ以前が和歌です。

明治に入って、和歌を近代的な歌にしようという運動がおこり、正岡子規によって短歌と言う表現になりました。もう少し具体的には、明治になってアララギ派の歌人たちが「万葉に帰れ」を標語にした時に、呼び名も和歌から万葉時代の呼び名である短歌に戻すように提言したので近代以降は短歌と呼ぶのが主流になりました。

中学、高校の古文に出てくる歌、百人一首は、和歌の今に残るかたちであり、一月に皇居で披露される『歌会始』は和歌の伝統を継ぐ短歌の作品です。

※万葉の時代には短歌・長歌・旋頭歌・仏足石歌などの歌が作られ、これを総称して和歌と呼びましたが、平安時代になると短歌以外の形式の歌は廃れてしまって和歌=短歌になりました。

 

俳句と短歌の違いについて

俳句と短歌の違いは、文字数と季語です。俳句は五七五、短歌は五七五七七。短歌には必ずしも季語は必要ではありません。俳句は季語と呼ばれる季節を表す言葉を入れるのが大きな特徴です(五・七・五にとらわれない自由律や季語を入れない流派もありますが‥)。

 

まとめと関連情報

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