松尾芭蕉の不易流行とは?

 

松尾芭蕉の不易流行とは?

松尾芭蕉の不易流行とは?

不易流行とは俳聖・松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の中で見出した蕉風俳諧の理念の一つです。

芭蕉の俳論をまとめた書物『去来抄』では、不易流行について、以下のように書かれています。
「不易を知らざれば基立ちがたく、
流行を知らざれば風新たならず」
去来抄

不易流行の『不易』とは、時を越えて不変の真理をさし、『流行』とは時代や環境の変化によって革新されていく法則のことです。
不易と流行とは、一見、矛盾しているように感じますが、これらは根本において結びついているものであると言います。
蕉門に、千歳不易(せんざいふえき)の句、一時流行の句といふあり。
是を二つに分けて教え給へる、其の元は一つなり。
去来抄

去来抄の中にある向井去来の言葉です。
「千年変らない句と、一時流行の句というのがある。
師匠である芭蕉はこれを二つに分けて教えたが、その根本は一つである」
という意味です。

俳句が時代に沿って変化していくのは自然の理だけれども、その根本に風雅の誠が無ければ、それは軽薄な表面的な変化になるだけで、良い俳句とはならない、ということです。
(風雅とは蕉門俳諧で、美の本質をさします)

これは俳句以外のあらゆることに応用できる普遍的な概念です。
時代が変ったのに古くからの法則や方法に縛られていると、国や会社などは衰退してしまうし、変えてはいけない部分を変えてしまうと、あっという間に組織などは滅びてしまいます。
利益優先のために、食品の偽装表示などをして摘発された食品会社などは、食に携わる者としての不易の部分を蔑ろにしたため、あるいは変化に「風雅の誠」となる部分を欠いていたために潰れたと言えるでしょう。

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芭蕉の有名な俳句(秋)隣は何を‥

芭蕉の有名な俳句(秋)を
調べてみました。

秋深き 隣は何を する人ぞ
この道や 行くひとなし 秋の暮れ
枯れ枝に 鳥のとまりけり 秋の暮れ



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松尾 芭蕉は元禄7年(1694年)に永眠

松尾 芭蕉は元禄7年(1694年)に永眠

松尾 芭蕉(寛永21年(1644年) –
元禄7年10月12日(1694年11月28日))

江戸時代前期の俳諧師。
三重県上野市(現在の伊賀市)出身。幼名は金作。
俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、
芭蕉(はせを)と改めた。北村季吟門下。

俳諧(連句)の芸術的完成者であり、
蕉風と呼ばれる芸術性の極めて高い句風を確立し、
後世では俳聖として世界的にも知られる、
日本史上最高の俳諧師の一人である。

芭蕉自身は発句(俳句)より
俳諧(連句)を好んだ。

芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、
元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を立ち東北、
北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した
紀行文『おくのほそ道』が特に有名。

芭蕉が永眠した元禄7年から
7年後の元禄14年3月14日 (旧暦) (1701年4月21日)、
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、
江戸城松之大廊下で、吉良上野介吉央
(きらこうずけのすけよしひさ)に斬りかかった
赤穂事件が発生。

元禄15年12月14日 (旧暦) (1702年1月30日)、
吉良邸に侵入し、吉良上野介を討ちとった
(吉良邸討ち入り)。この時討ち入りに
参加した人数は大石以下47人(四十七士)である。
事に端を発する。斬りかかった理由は、
何らかの「遺恨」が原因との事だが
詳細は不明である)。

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奥の細道 青空文庫

一 冒頭

月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也
`舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて
老をむかふる物は日々旅にして旅を栖とす
`古人も多く旅に死せるあり
`予もいづれの年よりか片雲の風にさそはれて
漂白の思ひやまず海浜にさすらへ
去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて
やや年も暮春立る霞の空に白川の関こえんと
そぞろ神の物につきて心をくるはせ道祖神の
まねきにあひて取もの手につかず
もも引の破をつづり笠の緒付かへて三里に
灸すうるより松島の月先心にかかりて住る方は
人に譲り杉風が別墅に移るに
`草の戸も住替る代ぞひなの家
`面八句を庵の柱に懸置

二 旅立

`弥生も末の七日明ぼのの空朧々として
月は在明にて光をさまれる物から不二の
峰幽にみえて上野谷中の花の梢
`又いつかは `と心ぼそし
`むつましきかぎりは宵よりつどひて
舟に乗て送る
`千じゆと云所にて船をあがれば
前途三千里のおもひ胸にふさがりて
幻のちまたに離別の泪をそそく

`行春や鳥啼魚の目は泪

`是を矢立の初として行道なほすすまず
`人々は途中に立ならびて
`後かげのみゆる迄は `と見送なるべし

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奥の細道冒頭部朗読

奥の細道冒頭部朗読

 

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大石内蔵助良雄 辞世の句

大石内蔵助良雄 辞世の句

「あらたのし 思いは晴るる 身は捨つる 浮世の月にかか雲なし」

大石 良雄(おおいし よしたか)は、江戸時代前期の武士。
播磨国赤穂藩の筆頭家老。赤穂事件で名を上げ、これを題材とした
人形浄瑠璃・歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』で有名となる。

「良雄」は諱で、通称(仮名)は「内蔵助」。
一般にはこの大石 内蔵助(おおいし くらのすけ)の名で広く知られています。

毎年、12月14日の討ち入りの日には、テレビで特集が組まれますが、
大高源吾と室井其角の「両国橋の別れ」でのやりとりも好きです。

「年の瀬や水の流れと人の身は明日待たるるその宝船」

討ち入りの日の夕方、大歳のすす払いの「すす竹」売りに身をやつした源吾は、
両国橋で、俳諧仲間の師匠「宝井其角」と偶然会います。

其角は、源吾の身なりを見て、その落ちぶれようが本当だと勘違いし、
もう合うこともあるまい、と自分の羽織を与えます。そして、最後に付け句を、と、
橋の上から隅田川の流れをを見ながら、「年の瀬や、水の流れと人のみは」と出します。

これに対し、源吾は、その夜が「吉良邸」への討ち入りですから、
「明日 またるる その宝船』と返すのです。

最後の忠臣蔵 オリジナル・サウンドトラック

最後の忠臣蔵(2010)といえば、『四十七人の刺客』などで知られる
池宮彰一郎の同名小説を、テレビドラマ「北の国から」シリーズの演出を手掛けた
杉田成道が映画化。赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件で大石内蔵助率いる四十六士が
切腹して主君に殉じた中、 ひそかに生き残った二人の男の知られざる物語を
描いたものです。正直、泣けます。出演:役所広司、佐藤浩市 他

1.最後の忠臣蔵~夢なれど~
2.道行
3.討ち入り
4.重き使命
5.風の予感
6.見初め
7.紅葉の下
8.雪山の彷徨
9.母の言葉
10.ひそかな恋慕
11.内蔵助の秘密

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朋有り遠方より来たる・論語

よく耳にする論語の一節です。
漢詩だと思っている人も多いようですが、
これは、論語・学而の一節です。

個人的には、陶淵明の雜詩其一
歳月人を待たずを連想してしまいます。

学而第一 1 子曰學而時習之章

子曰。學而時習之。不亦説乎。
有朋自遠方來。不亦樂乎。
人不知而不慍。不亦君子乎。

子曰わく、学びて時に之を習う。
亦た説ばしからずや。
朋有り、遠方より来たる。
亦た楽しからずや。
人知らずして慍おらず、
亦た君子ならずや。

ならってはおさらいするのは、
たのしいことだね。
なかまが遠くからくるのは、
うれしいことだね。
知られなくても平気なのは、
りっぱな人じゃないか。
(魚返善雄『論語新訳』)

子ども版 声に出して読みたい日本語 3

朋有り遠方より来たる/論語
斎藤 孝 (著), 大滝 まみ (イラスト)

ベストセラー『声に出して読みたい日本語』を
幼児・低学年向けの絵本として編集した画期的シリーズ。

古典の名文を音読することで
国語力がアップする教育効果が絶大。

子ども版 声に出して読みたい日本語(3) 朋有り遠方より来たる [ 齋藤孝(教育学) ]

四歳の息子のために購入しましたが、
毎日少しずつ素読をさせているうちに、
あっという間に丸暗記しました。
このシリーズの本は三冊目ですが、前の二
冊もほぼ丸暗記しています。

また、特に『論語』は、
頭で覚えているだけではなく、
家庭・保育園での日常の
中でも活用していることが少なからずあります。
つい先日も保育園でいじめられ
ていた子を助け、帰って来てから
「『義を見て為さざるは勇無きなり』でしょ?」
と話していました。

ただ、まさに子供のためだけの書ですから、
大人も一緒に楽しもうと思うの
であれば、少々高いですが『こども論語塾』を
お薦めします。『こども論語塾』も同様に
全文にルビがふってありますが、それ以外に
原文や出典もあわせて載せてあり、
子供向けの解説もより上手にまとめられています
(著者は安岡正篤氏のお孫さん)。
どちらの書も、幼少期の道徳教育に
もってこいの一冊だと思います。

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