「ぢ」をローマ字で入力する方法って??(キーボード)

「ぢ」をローマ字で入力する方法って??(キーボード)

キーボードの文字入力で、ときどき、どうするんだって文字あるよね。

たとえば、

「ぢ」。

これは、

「DI」で変換すると、「ぢ」になります。

また、「づ」は「DU」で変換すると、「づ」になります。

 

「ぢ」「づ」を使った言葉って‥

日本では、1946年11月16日以降、それまで「ぢ」「づ」と書いていたものを、次の二つの例外を除きすべて「じ」「ず」と書くことに決められました。

例外1:二語の連合 「ばか」+「ちから」など

二語の連語とは、以下のように、「ばか」+「ちから」や「よこ」+「つな」のような場合のことで、

⇒ 「ばか」+「ちから」→「ばか【ぢ】から」 (「ばかじから」ではない)
⇒ 「よこ」+「つな」→「よこ【づ】な」 (「よこずな」ではない)

例外2:同音の連呼 [ち][ぢ][む]など

⇒ [ち][ぢ][む]→「ち【ぢ】む」 (「ちじむ」ではない)
⇒ [つ][づ][く]→「つ【づ】く」 (「つずく」ではない)

 

『広辞苑』で「ぢ」の付く見出し語

明石縮、浅茅、浅知恵、浅茅ヶ原、浅茅の縄、浅茅原、浅茅生、浅茅生の、朝茶、後知恵、阿房力、天手力男命、編笠茶屋、阿波縮、生畜生、いぢかり股、至り茶屋、至り料理茶屋、一力茶屋、一銭茶屋、一本調子、入れ知恵・入れ智慧、色茶屋、いろは茶屋、岩国縮、浮世茶屋、腕力、上調子、越後縮、絵提灯、起縮病、奥知恵、怖ぢ浅む、怖ぢ恐る、惶ぢ懼まる、怖ぢ習ふ、怖ぢ惑ふ、遅知恵、小田原提灯、小千谷、小千谷縮、男畜生、己が散り散り、思ひ閉ぢむ、主茶碗、会席茶屋、替茶碗、化学縮、書き閉ぢむ、掛茶屋、陰間茶屋、数茶碗、強盗提灯、利き猪口、黄血、期近、期近物、絹縮、岐阜提灯、糞力、口近い、口茶、雲井調子、下種近、気近し、恋力、濃茶茶碗、高麗茶碗、腰掛茶屋、腰提灯、御所散らし、小税、小力、子供茶屋、御用提灯、五郎八茶碗、桜茶屋、差乳、差し知恵、差乳、佐野縮、猿知恵、忍び提灯、芝居茶屋、絞り茶巾、祝儀提灯、白張提灯、新松子、簾茶屋、相撲茶屋、責め力、相馬縮、添え乳、底力、大力、高島縮、高提灯、高張提灯、手こぢ、手力、手力男命、卵縮、球萵苣、丹波茶、近近、近近し、力力し、千千・千箇・数千、縮く、縮む、縮める、縮る、縮れる、縮かむ、縮かまる、縮くれる、縮こまる、千千の松原、縮まる、縮み、縮み上がる、縮織、縮み頭、縮帷子、縮み髪、縮み込む、縮み昆布、縮笹、縮み代、縮屋新助、縮ら、縮らす、縮らせる、千千良織、縮れ、縮れ毛、千々石、千々石ミゲル、茶飲み茶碗、銚子縮、散り散り、散り散りばらばら、珍物茶屋、通円茶屋、杖提灯、付け知恵、筒茶碗、釣提灯、出合茶屋、手近、手近い、出茶屋、手提灯、手丸提灯、天下茶屋、天下茶屋の仇討、天目茶碗、唐萵苣、閉ぢむ、煮売茶屋、担い茶屋、捩ぢ合ふ、捩ぢ殺す・捻ぢ殺す、捩ぢ竦む・捻ぢ竦む、捩ぢ直る・捻ぢ直る、捩ぢ捲く・捻ぢ捲く、捩ぢ戻す・捻ぢ戻す、捩ぢ破る・捻ぢ破る、捩ぢ寄る・捻ぢ寄る、念仏力、軒提灯、熨斗縮、野萵苣、野萵苣、能登縮、伸び縮み、延べ縮め、乗力、馬鹿力、箱提灯、恥ぢ赫く、恥ぢしむ、恥ぢしらふ、端近、端近い、馬上提灯、走り知恵、葉茶、葉茶壺、葉茶店、葉茶屋、鼻血、洟提灯、鼻の先智恵、浜萵苣、早提灯、引手茶屋、ひぢり掠り、緋縮緬、人力、平茶碗、平調子、風香調、節近、ブリヂストン美術館、酸漿提灯、細乳、細税、盆提灯、孫嫡子、待合茶屋、間近、間近い、回り知恵、水茶屋、水調子、身近、身近い、耳近し、無明長夜、夫婦茶碗、飯茶碗、妻ぢゃ者、目近、目近い、目近扇、綿縮、物近し、木綿縮、貰い乳、紋散らし、役知恵、休み茶屋、痩せ力、八乳、藪力、山力、山萵苣、野郎茶屋、遊山茶屋、湯呑み茶碗、弓張提灯、世近し、四乳、楽茶碗、料理茶屋、悪知恵・悪智慧、破茶碗

 

谷中・いろは茶屋‥池波正太郎「鬼平犯科帳二」

いろは茶屋(ぢゃや)は、まさに、「ぢ」を使う単語のひとつです。池波正太郎さんの著書に有名な「鬼平犯科帳」がありますが、その第2巻に「谷中・いろは茶屋」が収められています。池波さんのファンは相当に多いようで、谷中・いろは茶屋に関するブログも見つけました。

鬼平犯科帳のエンディングテーマ、Gipsy Kings – インスピレーション、いまでも、飽きることなく聞いています。

池波さん本では「映画を見ると得をする」は読んでおくべきエッセイです。映画を見ることの重要性がわかります。

映画なら「わずか2時間で、隣の人がやっているのを見るように」人生を見られる。さまざまな別の人生を知ることができるという点では、映画、文学、芝居、どれも同じだけれど、やっぱり映画には映画ならではというところがあるわけだよ。例えば、ドストエフスキーの「罪と罰」という小説があるだろう。(中略)‥これが映画になると、ラスコーリニコフが実際の人間として現れてドラマを演ずるわけだよ。まるで自分の隣の人がやっているように見せる、そこがつまり映画の、芝居もそうだけど、基本的な特徴なんだ。(中略)‥一時間半か二時間でもって、全然自分とは別の人生を知ることができるというんだからね。映画の特権というものはそれですよ。時間ですよ。(以上、池波正太郎著「映画を見ると得をする」からの引用)

まとめと関連情報

 

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