海鼠、海鼠腸の読み方と意味

なな

ん、うみねずみ‥?
漢字のクイズ番組ではよく見かけるのですが、忘れたころにやってくる、ということで
いざ、回答しようとすると、全く、答えがわからない‥

そんなものですね

で、海鼠、海鼠腸も実は冬の季語らしく
ついつい、そんな季語を使った俳句を調べていると‥

「海鼠腸が好きで勝気で病身で  森田愛子」

最後の「病身で」が気になって、もう少し詳しく調べてみると‥

「不思議やな汝が踊れば我等泣く 虚子」


俳句は素人ですが、
世の中にこんなに泣ける俳句があるのですね‥

 

海鼠、海鼠腸の読み方と意味

海鼠の読み方と意味

海鼠は、ナマコと読みます。英語ではsea cucumber。ヒトデ、ナマコ、ウミユリなど、いわゆる、棘(とげ)をもつ棘皮動物(きょくひどうぶつ)に分類されます。体長は20~30cm、太さ5~6cmの、見た目はかなりグロテスクな動物です。
世界に約1,500種、日本にはそのうち200種ほどが分布していて、食用になるのはマナマコなど約30種類ほどあるようです。寿命は約5-10年。

棘皮動物(きょくひどうぶつ)とは

ハリネズミのような derma(皮)を持つものという意味で、その名が示す通り、元来ウニを対象としてつけられた名称ですが、ヒトデ、ナマコなど、棘をもたない動物も棘皮動物に含まれます。

海鼠は俳句では冬の季語、ナマコと芭蕉、漱石

ナマコは和歌や俳句の題材にも選ばれ、俳句では冬の季語とされています。あの芭蕉や漱石も海鼠を題材にした句を作っているのは驚きです。

「生きながらひとつに凍る海鼠かな」(松尾芭蕉)

「安々と海鼠のごとき子を産めり」(夏目漱石)

など、多くの文人・歌人たちにより様々な作品が残されています日本人とナマコの関わりは古く、712年に編纂された日本最古の歴史書『古事記』にはすでに「海鼠」という語が登場していて、当時はこれで「コ」と読んでいたそうです。

海鼠あり庖厨は妻の天下かな  河東碧梧桐。

海鼠を使った俳句って、けっこうあります。正岡子規の高弟として高浜虚子と並び称される
河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)も次の句を残しています。

海鼠あり庖厨は妻の天下かな  河東碧梧桐

 

河東 碧梧桐(かわひがし へきごとう)
(1873年(明治6年)2月26日 – 1937年(昭和12年)2月1日)
河東 碧梧桐は、俳句革新運動の代表的人物として知られ、正岡子規は、碧梧桐と虚子について「碧梧桐は冷やかなること水の如く、虚子は熱きこと火の如し、碧梧桐の人間を見るは猶無心の草木を見るが如く、虚子の草木を見るは猶有上の人間を見るが如し。」と評していたそうです。句集に『虹』(森田愛子との共著)『花鳥』『花鳥禅』、著書に『柏翠自伝』などがあり、品格高く艶のある句風です。福井県鯖江市に伊藤柏翠俳句記念館が建てられています。

海鼠の漢字の書き順について

海鼠の漢字の書き順について、こちらのサイト(漢字書き順・筆順調べ無料辞典(無料漢字辞典サイト))を参考にしてください。とてもわかりやすいサイトです。漢字の書き順についてはこちらのサイトもおすすめです。

 

 

海鼠腸の読み方と意味

海鼠腸は、「このわた」と読みます。海鼠腸(このわた)は、ナマコの内臓の塩辛のことです。尾張徳川家が師崎のこのわたを徳川将軍家に献上したことで知られ、ウニ、カラスミ(ボラの卵巣)と並んで日本三大珍味の一つに数えられます。

 

海鼠腸(このわた)の俳句と森田愛子さん

海鼠腸(このわた)も冬の季語であることを知って、ついつい調べていくうちに次の俳句を知りました。好きで勝手で、という表現と、病身という言葉があまりに対照的で衝撃を受けて、さらに、調べていったということです。

 

「海鼠腸が好きで勝気で病身で  森田愛子」

 

森田愛子さん(1917年11月18日 – 1947年4月1日)は、福井県坂井市三国町出身の俳人。
高浜虚子の写生文「虹」のヒロインとしても知られています。1939年(昭和14年)、神奈川県鎌倉市七里ケ浜の鈴木療養所に入所し(結核の気胸療法をうけるため)、このとき、高浜虚子門下の伊藤柏翠と出会い、愛子は柏翠に弟子入りし、俳句を始めたようです。

1943年(昭和18年)11月、高浜虚子は各地の句会に出席するための旅の途中に、三国を訪れ愛子を見舞い、永平寺を参拝し句会をした後、虚子は愛子と愛子の母、柏翠、坪内美佐尾を山中温泉「よしのや」での句会に招待し、その宴席で、愛子母娘が歌い踊ったそうです。

そのときの虚子の句が以下です。世の中にこんなに泣ける俳句があるものか‥と思った次第です。

 

「不思議やな汝が踊れば我等泣く(虚子)」

 

 

高浜虚子 六百句 – 青空文庫

青空文庫には「高浜虚子 六百句」は収録されていて、
高浜虚子 六百句の序に次のように記載されています。

さきに『ホトトギス』五百号を記念するために、改造社から『五百句』という書物を出し、また『ホトトギス』五百五拾号を記念するために、桜井書店から『五百五十句』という書物を出した。今度また菁柿堂せいしどうの薦すすめによって、『ホトトギス』六百号を記念するために『六百句』という書物を出すことになった。
これは昭和十六年から、昭和二十年までの句の中から選んだものである。『五百句』の時と同じく句数は厳格に六百句と限ったわけではなく多少超過しているかもしれぬ。

昭和二十一年九月十一日 小諸山廬こもろさんろにて 高浜虚子

 

 

 

まとめと関連情報

俳句は素人ですが、
世の中にこんなに泣ける俳句があるのですね‥

 

「不思議やな汝が踊れば我等泣く(虚子)」

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