南部坂雪の別れ‥忠臣蔵‥内蔵助が瑤泉院に暇乞い
「忠臣蔵」の名場面、大石内蔵助が瑤泉院に暇乞いに訪れた「南部坂雪の別れ」の舞台としても知られる南部坂。
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各々方、覚悟はよろしいか。忠臣蔵
そもそも、各々方(おのおの‐がた)とは、‥。調べてみると、「二人称の人代名詞。複数の人を敬っていう語。近世、武士の用語。あなたがた。皆さん。」との解説がある。言い換えると、それぞれ、各各(おのおの)、個個(ここ)‥。英語表現では「each」
第2回NHK大河ドラマ(昭和39年)は、長谷川一夫が主役の大石内蔵助を演じた大佛次郎原作の『赤穂浪士』。当時は、「各々方、討ち入りでござる」というセリフが日本中で流行ったとか‥。
なぜ、「仮名手本忠臣蔵」なのか
突然ですが、なぜに「仮名手本」というのかご存じだろうか? 実は、討ち入り義士たち「四十七士」を「いろは四十七文字」になぞらえているとか‥
「ではおのおの方、ぬかりなく」‥NHK大河ドラマ「真田丸」
この「各々方(おのおの‐がた)」という言い回しは、時代劇にどんぴしゃなのですが、NHK大河ドラマ「真田丸」でも、同様の言い回し「ではおのおの方、ぬかりなく」が流行っていましたね。真田昌幸役を演じた俳優・草刈正雄さんのセリフです。
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元禄15年は1702年です
ときどき、検索してしまうのが
和暦-西暦の変換です。
日本って独特ですよね。日本の文化なのですが
世界共通的には、ちょっと不便な和暦-西暦の変換。
ところで、
なぜ、元禄15年なのかですが‥
芭蕉が永眠した元禄7年から
7年後の元禄14年3月14日 (旧暦) (1701年4月21日)、
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、
江戸城松之大廊下で、吉良上野介吉央
(きらこうずけのすけよしひさ)に斬りかかった
赤穂事件が発生。
元禄15年12月14日 (旧暦) (1702年1月30日)、
吉良邸に侵入し、吉良上野介を討ちとった
(吉良邸討ち入り)。この時討ち入りに
参加した人数は大石以下47人(四十七士)である。
事に端を発する。斬りかかった理由は、
何らかの「遺恨」が原因との事だが
詳細は不明である)。
つまり、吉良邸討ち入りは元禄15年、1702年の出来事。
ただ、これは旧暦なので、
グレゴリウス暦(新暦)だと、翌年の「1月30日」に
なってしまいます。
赤穂浪士47とは
赤穂浪士(あこうろうし)は、
元禄15年12月14日(1703年1月30日)深夜に
旧主浅野長矩の仇である高家吉良義央の
屋敷に討ち入り、吉良義央および家人を殺害した
(赤穂事件)元赤穂藩士大石良雄以下47人の武士。
赤穂浪士の扮装。歌舞伎などの創作において
広まった典型的な討ち入りの装束だが、史実ではない。
かつては赤穂の牢人(浪人)といわれることが
多かったが、明治の中期から赤穂義士(あこうぎし)と呼ばれ、
忠孝の教えの観点から戦前は全国的にも赤穂義士の
名称が一般的だった。明治以降壬生浪士の影響から
浪人を浪士と称することもある。戦後、大佛次郎の小説が
テレビドラマ化されてからは、赤穂浪士の方が
周知されている。四十七士(しじゅうしちし)ともいう。
赤穂浪士/片岡千恵蔵[DVD]
赤穂義士と謳っていた47士を
“赤穂浪士”と名づけ、反権力のレジスタンスとして
描いた大仏次郎の名作を映画化。
片岡千恵蔵、中村錦之助、大川橋蔵、市川右太衛門ら、
東映時代劇黄金期のオールスターを大結集して
製作された東映創立10周年記念作品。
1961年3月公開。
監督 松田定次
出演 片岡千恵蔵
中村錦之助
大川橋蔵
市川右太衛門
脚本 小国英雄
日本人の忖度と惻隠の情とは
いま、日本人の惻隠の情が失われていると‥(藤原雅彦さん)
「惻隠の情」というのは、中国の古典である
孟子の言葉から来ているのですね。「子供が井戸に落ちそうになっていれば、危ないと思わず手を差し延べたり
助けに行こうとする」人として忍びずの気持ち・心は、
人間皆生まれ持ったものであり本来そうした気持ちが備わっているはずだと
孟子は言うのです。そして、武士道の教えの中に示されている、
平たく言えば思い遣る心。
哀れに思う気持ち。可哀想であると感じる心持ち。
心に太陽を持て そして、唇に歌を
楽観的になれ!
日本人の忖度と惻隠の情とは(意味) | ふるさと情報いろいろ (furusatoa.biz)
まとめと関連情報
⇒ 南部坂雪の別れ‥忠臣蔵‥内蔵助が瑤泉院に暇乞い
⇒ 年の瀬や水の流れと人の身は‥ 大高源吾(辞世の句)
⇒ 元禄15年は西暦1702年です
⇒ 大石内蔵助良雄 辞世の句
⇒ 芭蕉の有名な俳句(秋)隣は何を‥
⇒ ちいさい秋みつけた♪歌詞
⇒ 以て瞑すべし(もってめいすべし) の意味や使い方など
⇒ 時に元禄十五年‥三波春夫さん 「元禄名槍譜・俵星玄蕃」の名セリフ
⇒ 12月14日は忠臣蔵・四十七士討ち入りの日‥
⇒ 12月14日忠臣蔵・討ち入り後の泉岳寺までのルートについて
⇒ 夏の月蚊を疵(きず)にして五百両 其角
⇒ 我が物と思えば軽し笠の雪 其角 ことわざ
⇒ 以て瞑すべし(もってめいすべし) の意味や使い方など‥忠臣蔵
⇒ 各々方、覚悟はよろしいか。忠臣蔵
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