「あらたのし 思いは晴るる 身は捨つる 浮世の月にかか雲なし」
大石内蔵助良雄 辞世の句
大石内蔵助良雄 辞世の句
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あらたのし思いは晴るる身は捨つる 浮世の月にかか雲なし
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大石 良雄(おおいし よしたか)は、江戸時代前期の武士。
播磨国赤穂藩の筆頭家老。赤穂事件で名を上げ、これを題材とした
人形浄瑠璃・歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』で有名となる。
「良雄」は諱で、通称(仮名)は「内蔵助」。
一般にはこの大石 内蔵助(おおいし くらのすけ)の名で広く知られています。
年の瀬や水の流れと人の身は‥ 大高源吾
毎年、12月14日の討ち入りの日には、テレビで特集が組まれますが、
大高源吾と室井其角の「両国橋の別れ」でのやりとりも好きです。
「年の瀬や水の流れと人の身は明日待たるるその宝船」
討ち入りの日の夕方、大歳のすす払いの「すす竹」売りに身をやつした源吾は、
両国橋で、俳諧仲間の師匠「宝井其角」と偶然会います。
其角は、源吾の身なりを見て、その落ちぶれようが本当だと勘違いし、
もう合うこともあるまい、と自分の羽織を与えます。そして、最後に付け句を、と、
橋の上から隅田川の流れをを見ながら、「年の瀬や、水の流れと人のみは」と出します。
これに対し、源吾は、その夜が「吉良邸」への討ち入りですから、
「明日 またるる その宝船』と返すのです。
大高源吾 辞世の句
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梅で呑む茶屋もあるべし死出の山
浅野長矩 辞世の句
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風さそう花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせむ
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長矩は播州赤穂藩の藩主、長友の嫡子として生まれ、延宝三年(1675年)三月にわずか9歳で父の後を継いで藩主となりました。江戸城、松の廊下における吉良上野介刃傷事件は元禄十四年(1701年)三月十四日のことで、このとき長矩は三十五歳でした。即日切腹となった長矩はこの辞世の句と、「ふしぎに存ずべく候」とだけ言い残したという。
「風にさそわれて散る花も名残惜しいだろうが、それよりなお春が名残惜しい私は、一体どうしたらいいのか」、この辞世の一首が国元、赤穂藩に届いたとき、大石内蔵助をはじめ家臣たちの悲しみ、怒りがいかほどであったか‥
最後の忠臣蔵 オリジナル・サウンドトラック
最後の忠臣蔵(2010)といえば、『四十七人の刺客』などで知られる
池宮彰一郎の同名小説を、テレビドラマ「北の国から」シリーズの演出を手掛けた
杉田成道が映画化。赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件で大石内蔵助率いる四十六士が
切腹して主君に殉じた中、 ひそかに生き残った二人の男の知られざる物語を
描いたものです。正直、泣けます。出演:役所広司、佐藤浩市 他
1.最後の忠臣蔵~夢なれど~
2.道行
3.討ち入り
4.重き使命
5.風の予感
6.見初め
7.紅葉の下
8.雪山の彷徨
9.母の言葉
10.ひそかな恋慕
11.内蔵助の秘密
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元禄15年は1702年です
ときどき、検索してしまうのが
和暦-西暦の変換です。
日本って独特ですよね。日本の文化なのですが
世界共通的には、ちょっと不便な和暦-西暦の変換。
ところで、
なぜ、元禄15年なのかですが‥
芭蕉が永眠した元禄7年から
7年後の元禄14年3月14日 (旧暦) (1701年4月21日)、
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、
江戸城松之大廊下で、吉良上野介吉央
(きらこうずけのすけよしひさ)に斬りかかった
赤穂事件が発生。
元禄15年12月14日 (旧暦) (1702年1月30日)、
吉良邸に侵入し、吉良上野介を討ちとった
(吉良邸討ち入り)。この時討ち入りに
参加した人数は大石以下47人(四十七士)である。
事に端を発する。斬りかかった理由は、
何らかの「遺恨」が原因との事だが
詳細は不明である)。
つまり、吉良邸討ち入りは元禄15年、1702年の出来事。
ただ、これは旧暦なので、
グレゴリウス暦(新暦)だと、翌年の「1月30日」に
なってしまいます。
なので、吉良邸討ち入りは1703年なんて言う人が
いるようですが、ナンセンス!
⇒ 元禄15年は西暦1702年です
⇒ 大石内蔵助良雄 辞世の句
⇒ 芭蕉の有名な俳句(秋)隣は何を‥
⇒ ちいさい秋みつけた♪歌詞
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赤穂浪士47とは
赤穂浪士47とは
赤穂浪士(あこうろうし)は、
元禄15年12月14日(1703年1月30日)深夜に
旧主浅野長矩の仇である高家吉良義央の
屋敷に討ち入り、吉良義央および家人を殺害した
(赤穂事件)元赤穂藩士大石良雄以下47人の武士。
赤穂浪士の扮装。歌舞伎などの創作において
広まった典型的な討ち入りの装束だが、史実ではない。
かつては赤穂の牢人(浪人)といわれることが
多かったが、明治の中期から赤穂義士(あこうぎし)と呼ばれ、
忠孝の教えの観点から戦前は全国的にも赤穂義士の
名称が一般的だった。明治以降壬生浪士の影響から
浪人を浪士と称することもある。戦後、大佛次郎の小説が
テレビドラマ化されてからは、赤穂浪士の方が
周知されている。四十七士(しじゅうしちし)ともいう。
赤穂浪士/片岡千恵蔵[DVD]
赤穂義士と謳っていた47士を
“赤穂浪士”と名づけ、反権力のレジスタンスとして
描いた大仏次郎の名作を映画化。
片岡千恵蔵、中村錦之助、大川橋蔵、市川右太衛門ら、
東映時代劇黄金期のオールスターを大結集して
製作された東映創立10周年記念作品。
1961年3月公開。
監督 松田定次
出演 片岡千恵蔵
中村錦之助
大川橋蔵
市川右太衛門
脚本 小国英雄
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日本人の忖度と惻隠の情とは
いま、日本人の惻隠の情が失われていると‥(藤原雅彦さん)
「惻隠の情」というのは、中国の古典である
孟子の言葉から来ているのですね。「子供が井戸に落ちそうになっていれば、危ないと思わず手を差し延べたり
助けに行こうとする」人として忍びずの気持ち・心は、
人間皆生まれ持ったものであり本来そうした気持ちが備わっているはずだと
孟子は言うのです。そして、武士道の教えの中に示されている、
平たく言えば思い遣る心。
哀れに思う気持ち。可哀想であると感じる心持ち。心に太陽を持て そして、唇に歌を楽観的になれ!
日本人の誇り (文春新書) [ 藤原正彦 ]
危機に立たされた日本は、今こそ「自立」と「誇り」を
回復するために何をすべきなのか?
『国家の品格』の著者による渾身の提言。
「個より公、金より徳、競争より和」を重んじる
日本国民の精神性は、文明史上、世界に冠たる尊きものだった。
しかし戦後日本は、その自信をなぜ失ったのか?
幕末の開国から昭和の敗戦に至る歴史を徹底検証し、
国難の時代を生きる日本人に誇りと自信を与える、
現代人必読の書。
男の覚悟 [ 安藤昇 ]
自叙伝的人間学、男の究極の力は「覚悟」にある。
[目次]
器量/安藤組/出自/遊郭/不良/満州/ナンパ/ケンカ/上官/矜持/
惻隠の情/餓狼/覚悟/顔/飽食/女/クルマ/談判/拉致/逃亡/
懲役/解散/転身/信・義・耐/言行一致
[著者情報]
安藤昇(アンドウノボル)
大正15(1926)年5月24日、東京都生まれ。
特攻隊から復員後、昭和20年代後半に安藤組を結成、渋谷を本拠とする。
33年、横井英樹襲撃事件で服役。出所した39年暮れに安藤組を解散。
40年、俳優として映画デビュー。主演作だけで58本を数える。
現在は作家、映画プロデューサーとして活躍中
⇒ 年の瀬や水の流れと人の身は‥ 大高源吾(辞世の句)
⇒ 元禄15年は西暦1702年です
⇒ 大石内蔵助良雄 辞世の句
⇒ 芭蕉の有名な俳句(秋)隣は何を‥
⇒ ちいさい秋みつけた♪歌詞
蒲生氏郷 辞世の句 限りあれば吹かねど花は散るものを
蒲生 氏郷(がもう うじさと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。
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限りあれば吹かねど花は散るものを 心短き春の山嵐
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風が吹かなくても花は散るのが定めだのに、短気な山嵐よ
まとめと関連情報
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