12月31日は寅彦忌(冬彦忌)、大晦日
12月31日は、物理学者・エッセイストである寺田寅彦の忌日、『寅彦忌』or『冬彦忌』です。享年57歳。『冬彦忌』は寺田の筆名「吉村冬彦」にちなみます。
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寺田寅彦(テラダトラヒコ)(1878~1935)
1878年(明治11年)11月28日、東京に生まれる。
物理学者、随筆家。父は高知県の士族出身。
五高在校中、夏目漱石に学ぶ。1903年(明治36年)、東京大学物理学科卒業。東大助教授を経て、東大教授。地震研究所、航空研究所、理化学研究所などにも籍をおいた。科学者の視点から、日常身近の現象をとらえた独特の随筆を多く書いた。筆名に吉村冬彦など。1935年(昭和10年)12月31日、逝去。
寺田寅彦は漱石の元教え子
寅彦は漱石(1867~1916年)の元教え子で、最も初期の門下生でした。漱石が1896年(明治29年)から約5年間、熊本県の第五高等学校(熊本大学の前身)で英語の教師を務めていた時、教え子の寅彦は大いに感化され、漱石を担いで俳句結社を結成。漱石の親友である正岡子規が主宰する雑誌にも俳句を投稿するほど熱中しました。
水島寒月のモデルは寺田寅彦(「吾輩は猫である」)
「吾輩は猫である」に、主人公の苦沙弥先生の元教え子で理学士の「水島寒月」なる人物は寺田寅彦とされています。
天災は忘れた頃にやってくるとは(寺田寅彦)
天災は忘れた頃にやってくるとは(寺田寅彦)
自然災害はその被害を忘れたときに
再び起こるものだという戒め。
「天災は忘れられたる頃来る」、
「天災は忘れた頃来る」、
「天災は忘れられた頃に来る」
などとも記述される。
科学者で随筆家の寺田寅彦の言葉とされていて発言録に残っています。
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地震雑感/津浪と人間(中公文庫)寺田寅彦
「天災は忘れた頃にやって来る」の名言で有名な寺田寅彦の、地震と津浪に関連する文章を集めた。
地震国難の地にあって真の国防とは何かを訴える色あせぬ警告の書。寺田寅彦が漱石門下の友人小宮豊隆に送った「震災絵はがき」のカラー図版十葉を収める。
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12月31日は『寅彦忌』or『冬彦忌』
12月31日は『寅彦忌』or『冬彦忌』です。享年57歳。『冬彦忌』は寺田の筆名「吉村冬彦」にちなむ。
寺田寅彦は漱石の元教え子
寅彦は漱石(1867~1916年)の元教え子で、最も初期の門下生でした。漱石が1896年(明治29年)から約5年間、熊本県の第五高等学校(熊本大学の前身)で英語の教師を務めていた時、教え子の寅彦は大いに感化され、漱石を担いで俳句結社を結成。漱石の親友である正岡子規が主宰する雑誌にも俳句を投稿するほど熱中しました。
水島寒月のモデルは寺田寅彦(「吾輩は猫である」)
「吾輩は猫である」に、主人公の苦沙弥先生の元教え子で理学士の「水島寒月」なる人物は寺田寅彦とされています。
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「天災と国防」寺田寅彦(青空文庫より)
「天災と国防」寺田寅彦(青空文庫より)
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「非常時」というなんとなく不気味なしかしはっきりした意味のわかりにくい言葉がはやりだしたのはいつごろからであったか思い出せないが、ただ近来何かしら日本全国土の安寧を脅かす黒雲のようなものが遠い水平線の向こう側からこっそりのぞいているらしいという、言わば取り止めのない悪夢のような不安の陰影が国民全体の意識の底層に揺曳ようえいしていることは事実である。そうして、その不安の渦巻うずまきの回転する中心点はと言えばやはり近き将来に期待される国際的折衝の難関であることはもちろんである。
そういう不安をさらにあおり立てでもするように、ことしになってからいろいろの天変地異が踵くびすを次いでわが国土を襲い、そうしておびただしい人命と財産を奪ったように見える。あの恐ろしい函館はこだての大火や近くは北陸地方の水害の記憶がまだなまなましいうちに、さらに九月二十一日の近畿きんき地方大風水害が突発して、その損害は容易に評価のできないほど甚大じんだいなものであるように見える。国際的のいわゆる「非常時」は、少なくも現在においては、無形な実証のないものであるが、これらの天変地異の「非常時」は最も具象的な眼前の事実としてその惨状を暴露しているのである。
一家のうちでも、どうかすると、直接の因果関係の考えられないようないろいろな不幸が頻発ひんぱつすることがある。すると人はきっと何かしら神秘的な因果応報の作用を想像して祈祷きとうや厄払やくばらいの他力にすがろうとする。国土に災禍の続起する場合にも同様である。しかし統計に関する数理から考えてみると、一家なり一国なりにある年は災禍が重畳しまた他の年には全く無事な回り合わせが来るということは、純粋な偶然の結果としても当然期待されうる「自然変異ナチュラルフラクチュエーション」の現象であって、別に必ずしも怪力乱神を語るには当たらないであろうと思われる。悪い年回りはむしろいつかは回って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に充分の用意をしておかなければならないということは、実に明白すぎるほど明白なことであるが、またこれほど万人がきれいに忘れがちなこともまれである。もっともこれを忘れているおかげで今日を楽しむことができるのだという人があるかもしれないのであるが、それは個人めいめいの哲学に任せるとして、少なくも一国の為政の枢機に参与する人々だけは、この健忘症に対する診療を常々怠らないようにしてもらいたいと思う次第である。
日本はその地理的の位置がきわめて特殊であるために国際的にも特殊な関係が生じいろいろな仮想敵国に対する特殊な防備の必要を生じると同様に、気象学的地球物理学的にもまたきわめて特殊な環境の支配を受けているために、その結果として特殊な天変地異に絶えず脅かされなければならない運命のもとに置かれていることを一日も忘れてはならないはずである。
地震津波台風のごとき西欧文明諸国の多くの国々にも全然無いとは言われないまでも、頻繁ひんぱんにわが国のように劇甚げきじんな災禍を及ぼすことははなはだまれであると言ってもよい。わが国のようにこういう災禍の頻繁であるということは一面から見ればわが国の国民性の上に良い影響を及ぼしていることも否定し難いことであって、数千年来の災禍の試練によって日本国民特有のいろいろな国民性のすぐれた諸相が作り上げられたことも事実である。
しかしここで一つ考えなければならないことで、‥以下、略(続きは、青空文庫で)
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寺田寅彦「どんぐり」青空文庫
もう何年前になるか思い出せぬが日は覚えている。暮れもおし詰まった二十六日の晩、妻は下女を連れて下谷摩利支天の縁日へ出かけた。十時過ぎに帰って来て、袂からおみやげの金鍔と焼き栗を出して余のノートを読んでいる机のすみへそっとのせて、便所へはいったがやがて出て来て青い顔をして机のそばへすわると同時に急に咳をして血を吐いた。驚いたのは当人ばかりではない、その時余の顔に全く血のけがなくなったのを見て、いっそう気を落としたとこれはあとで話した。
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人間の海鼠(なまこ)となりて冬籠る 寺田寅彦
着膨れて、ゴロゴロ炬燵に寝っ転がっている「人間」の姿が彷彿とするではないか!
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海鼠、海鼠腸の読み方と意味
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まとめと関連情報
12月31日は、物理学者・エッセイストである寺田寅彦の忌日、『寅彦忌』or『冬彦忌』です。享年57歳。『冬彦忌』は寺田の筆名「吉村冬彦」にちなみます。
「天災は忘れられた頃にやって来る」とは、科学者で随筆家の寺田寅彦の言葉とされていて発言録に残っています。
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漱石が来て虚子が来て大晦日 子規
12月31日は寅彦忌(冬彦忌)、大晦日
天災は忘れた頃にやってくるとは(寺田寅彦)
海鼠、海鼠腸の読み方と意味
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2022年の夏至冬至はいつ?‥読み方、意味など
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