あの町この町歌詞ひらがな‥日が暮れる

あの町この町歌詞ひらがな‥日が暮れる

『あの町この町』(あのまちこのまち)は、野口雨情作詞、中山晋平作曲による日本の童謡。2007年(平成19年)に日本の歌百選の1曲に選ばれた。

初出は東京社(現ハースト婦人画報社)が出版する児童雑誌『コドモノクニ』1924年(大正13年)1月号とされる。この頃は雨情にとって全盛期であり、雨情の代表作の1つである。作曲者の中山晋平は、この歌を口ずさみながら逝去したと伝えられている。

あの町 この町歌詞ひらがな

野口雨情作詞
中山晋平作曲

あのまち このまち
ひがくれる ひがくれる
いまきたこのみち
かえりゃんせ かえりゃんせ

おうちがだんだん
とおくなる とおくなる
いまきたこのみち
かえりゃんせ かえりゃんせ

おそらにゆうべの
ほしがでる ほしがでる
いまきたこのみち
かえりゃんせ かえりゃんせ




民謡風の旋律であるが西洋音階を取り入れた新しい型の楽曲である。4分の2拍子で、主な旋律は八分音符4つで構成されているが、中山晋平は「はずみをつけて」という標語を記し、わらべ歌のような曲調で歌われる事が多い。

歌詞の原文

ウィキソースにあの町この町の原文があります。
夕暮れが迫るのも気にせずに遊んでいる子供たちに早く帰るよう呼び掛ける歌である。曲の題名であり、歌い出しでもある「あの町この町」は特定の町を想定したものではなく、田舎町の夕暮れと豊かな自然を歌ったものである。

あの町 この町
日が暮れる 日が暮れる
今きたこの道
かえりゃんせ かえりゃんせ
お家(うち)がだんだん
遠くなる 遠くなる
今きたこの道
かえりゃんせ かえりゃんせ
お空に夕(ゆうべ)の
星が出る 星が出る
今きたこの道
かえりゃんせ かえりゃんせ

あの町 この町 歌碑

栃木県宇都宮市の野口雨情旧居の近くに、当楽曲の碑がある。野口の妻・つるが当地を離れる際に、思い出の証として記念となるものを残したいと、歌人の蓬田露村に相談したことがきっかけで建立されたもので、つるの希望によりこの楽曲が刻まれた。


中山 晋平(なかやま しんぺい)

1887年(明治20年)3月22日 – 1952年(昭和27年)12月30日。
日本の作曲家。多くの傑作といわれる童謡・流行歌・新民謡などを残した。作品は多岐にわたり、校歌や社歌等を含め中山の作品と判明しているものだけで1770曲存在する。

一部の作品は現在も抒情歌または日本歌曲として歌い継がれている。長調の曲はほとんどがヨナ抜き音階で書かれている。また、童謡には「兎のダンス」や「蛙(かはづ)の夜回り」のようなピョンコ節がかなりある。その作品群は独特の曲調から俗に「晋平節」と呼ばれ親しまれている。

まとめと関連情報

『あの町この町』(あのまちこのまち)は、野口雨情作詞、中山晋平作曲による日本の童謡。2007年(平成19年)に日本の歌百選の1曲に選ばれた。


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