どんぐりころころ歌詞ひらがな‥お池にはまってさあ大変
「どんぐりころころ」は、大正時代に作られた作詞青木存義、作曲梁田貞になる童謡。七五調四行詩のいわゆる今様の形式の作品であり、2番まである歌詞は起承転結のはっきりとした物語性のある構成となっている。
青木の没後、終戦直後の1947年(昭和22年)に小学校用の教科書(音楽)で使用されたことを契機に広く歌われるようになり、その普及ぶりから金田一春彦に「日本の三大童謡の一つ」とも評されている。2007年(平成19年)に「日本の歌百選」に選ばれた。
どんぐりころころ歌詞ひらがな
作詞:青木存義
作曲:梁田貞
どんぐりころころ ドンブリコ
おいけにはまって さあたいへん
どじょうがでてきて こんにちは
ぼっちゃんいっしょに あそびましょう
どんぐりころころ よろこんで
しばらくいっしょに あそんだが
やっぱりおやまが こいしいと
ないてはどじょうを こまらせた
※ 2007年(平成19年)に文化庁が発表した「日本の歌百選」掲載時の歌詞に準拠
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「幻の3番」の歌詞
どんぐりころころ 泣いてたら
仲良しこりすが とんできて
落ち葉にくるんで おんぶして
急いでお山に 連れてった
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平成期になってから、上記のような幻の3番が存在するとの噂が徐々に広まり出した。坊ちゃんが泣いたまま終わってしまう2番の歌詞から一転、温かみのある大団円を迎えるこの3番は、青木の母校である松島第五小学校において「いつからか歌い継がれていた」ことも相まって、「幻の3番」としてテレビや新聞等でしばしば取り上げられ知名度を上げた。
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どんぐりころころ 歌碑等
作詞者の青木の故郷である宮城県松島町では、地元の大地主であった「青木家」の名は記憶されていたものの、『どんぐりころころ』の作詞者がその血筋であることは一定時期までほとんど知られていなかった。彼の故郷での再評価は、没後約50年を経過した1983年(昭和58年)の夏に、青木の遺族と松島町の元職員が、列車で偶然に隣り合わせたことをきっかけに始まった。この際の会話を発端にして翌1984年(昭和59年)4月に松島町内の観瀾亭前庭に大倉石の歌碑が建立された。その3年後の1987年(昭和62年)には、青木の母校でもある松島町立松島第五小学校の正門横にも歌碑が立てられた。松島第五小学校は、青木が幼少時代を過ごし歌の舞台にもなった広大な青木家の屋敷跡に移転して建てられており、敷地内には青木の両親の墓も残っている。
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どんぐりころころ ドンブリコ
お池にはまって さあ大変
どじょうが出て来て 今日は
坊ちゃん一緒に 遊びましょう
どんぐりころころ よろこんで
しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと
泣いてはどじょうを 困らせた
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まとめと関連情報
「どんぐりころころ」は、大正時代に作られた作詞青木存義、作曲梁田貞になる童謡。七五調四行詩のいわゆる今様の形式の作品であり、2番まである歌詞は起承転結のはっきりとした物語性のある構成となっている。
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