虹と雪のバラード(山田姉妹)‥虹の地平を歩み出て

虹と雪のバラード(山田姉妹)‥虹の地平を歩み出て

虹と雪のバラード(にじとゆきのバラード)は、1972年2月に開催された1972年札幌オリンピックのテーマソングである。本曲は作詞:河邨文一郎、作曲:村井邦彦。


山田姉妹(双子ソプラノデュオ)

山田姉妹(双子ソプラノデュオ) 12 月 24 日生。神奈川県出身。 二卵性の双子ソプラノデュオ。4 歳の時に歌とピアノを始め、共に音楽大学声楽科卒業。 二期会オペラ研修所マスタークラス修了時、共に優秀賞を受賞。‥

虹と雪のバラード(にじとゆきのバラード)制作の背景

五輪開幕2年前の1970年、NHKは河邨に作詞を依頼する際に、

イベントが終わっても長く歌い継がれるもの。
オリンピックを待ち焦がれる札幌の人たちの心情を表していること。
重々しい式典風のものではなく、屋根裏の落第坊主がギターを爪弾いて歌え、なおかつ、何千人もの合唱に耐えうること。
の3つを要望した。

依頼を受けた当初はなかなか構想がまとまらず、河邨は2週間ペンが進まなかったという[1][2]。

1971年2月から3月までNHK『みんなのうた』の「札幌五輪のうた」のコーナーで流された[3]。1964年東京オリンピックのテーマ曲である「東京五輪音頭」や日本万国博覧会のテーマ曲である「世界の国からこんにちは」の例に倣い、この曲も複数歌手による競作となり、トワ・エ・モワ、黛ジュン、菅原洋一、ピンキーとキラーズ、佐良直美、トワ・エ・モワと同一の芸能事務所に所属していたジャッキー吉川とブルー・コメッツやスクールメイツなどが歌唱したが、最終的にトワ・エ・モワ版が定着しこの年の『第22回NHK紅白歌合戦』でもトワ・エ・モワがこの曲を歌った。

『Diamonds』 作詞:中山加奈子 作曲:奥居香

 



『カイト』 作詞作曲:米津玄師



やさしさに包まれたなら‥山田姉妹(双子ソブラノデュオ)

2021年11月23日(火曜日)に和光市民文化センター・サンアゼリアで開催した彩の国さいたま童謡コンサート2021。この日は双子ソプラノデュオの山田姉妹とうずら&みどりのそよ風児童合唱団(同市)、埼玉県警察音楽隊が出演。子ども連れなど多くのお客様が来場しました。


山田姉妹が歌ってくれたのは、
0:04「やさしさに包まれたなら」
3:25「靴が鳴る」
4:31「おつかいありさん」
5:09「みどりのそよ風」
6:05「故郷」
8:16「私のお父さん」
10:19「トルコ行進曲」

長崎の鐘(山田姉妹)‥

こよなく晴れた青空を 悲しと思うせつなさよ‥



四季の歌(しきのうた)歌詞‥春を愛する人は

四季の歌(しきのうた)は、作詞家・荒木とよひさが1963年頃から1964年にかけて作詞作曲した楽曲。人から人へ、口伝えによって広まり、日本で国民的人気の楽曲となった荒木の作詞家デビュー作。日本の歌百選の1曲。

自然現象などを直喩として用い、友人・親・恋人といった身近な人を隠喩として用いながら、四季それぞれを愛する人の性格を表現。キャッチーでシンプルなメロディと老若男女問わず歌える歌詞で、1970年代半ばに日本で大ヒットした。

こちらのサイトより引用

元々は、作者である荒木が日本大学スキー部時代に新潟・妙高で骨折して入院中、妙高高原の関温泉から眺める山々の情景をモチーフに作り、入院先で看護師にプレゼントした曲。

この歌は5番まであり歌詞も付いているが、5番は「ラララ」で代替することが多い。この曲は合唱曲としても使われ、「四季の歌」は中国でもヒットした。

まとめと関連情報

虹と雪のバラード(にじとゆきのバラード)は、1972年2月に開催された1972年札幌オリンピックのテーマソングである。本曲は作詞:河邨文一郎、作曲:村井邦彦。

 


虹と雪のバラード(山田姉妹)‥虹の地平を歩み出て
四季の歌(しきのうた)歌詞‥春を愛する人は

コメント